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入選
課題図書 小学校高学年の部 内閣総理大臣賞
特に内閣総理大臣から許可を得ているわけではありません。
作品情報
応募者名: p-hone
対象図書: 課題図書 三尺角(泉鏡花)
区分: 小学校高学年の部(1200字以内)
感想文
講評(クリックで表示)
講評:ほろあま
挙げられた文体の特徴が、まさに私も泉鏡花作品を通じて、同じように感じた部分であり、そして他の人にも感じて欲しい部分だったのでびっくりしました。なんだか心が通じ合ったような気がしました、莞爾(にっこり)。しかも、その特徴をアニメに例えるという、突拍子もないようで実に的を射た解釈はすんなりと腑に落ちてしまいました。前々から私はアニメオタクと泉鏡花は親和性が高いと思っていましたが、それは幻想的な表現だったり、登場人物の構図だったりをベースに考えていました。しかし、この感想文を読んで、泉鏡花の文体こそがアニメ性を孕んでいることに気づくことができました。実に示唆に富んだ素晴らしい読書感想文でした。
内閣総理大臣賞おめでとうございます。
『文学……いや、アニメか?』
p-hone
三尺角(泉鏡花)を読んだ。
昭和初期の小説で、すこし身構えてしまう古風な文体だ。
基本ノンフィクションしか読まない私がこれを選んだのは、『第1回夏のわくわく読書感想文コンクール』の課題図書であり、普段触れない文と向き合ういい機会と考えたからである。
比較的短めなお話だが、文体も内容も難解でどう読み取るか悩んだ。
テーマは日常に潜む怪奇といったところだろうか? 作品のメッセージは? 等考えようは様々あるが、
私が注目したのは物語とメッセージ性ではなく、この文体から感じ取れる「アニメ的」要素だった。
『三角尺』からは情景が細かく、アニメーションするように、ありありと伝わってくるのである。
例として一部を引用する。
> フト目を留めて、俯向いて、じっと見て、又梢を仰いで、
> 「与吉さんのいうようじゃあ、まあ、嘸さぞこの葉も痛むこッたろうねえ。」
> と微笑んで見せて、少いのがその清い目に留めると、くるりと廻って、空ざまに手を上げた、お品はすっと立って、しなやかに柳の幹を叩たたいたので、蜘蛛の巣の乱れた薄い色の浴衣の袂は、ひらひらと動いた。
〇〇して、〇〇して、…と一文が長く読点で、刻むように、時が僅かに進む。
これを読んでいるとアニメをゆっくり再生しているような感覚に包まれる。
そこに気づいたトタンに、この泉鏡花世界の楽しみ方が分かった気がして快感だった。
ある画風で絵が動くアニメがあれば、ある文体で動く文学もあるらしい。絵画または映像のように、見て、感じる、そういう文学もアリなのかと。
アニメと文学といえば、文学を振興するプロジェクトが
「文学を知らなければ、目に見えるものしか見えないじゃないか。文学を知らなければ、どうやって人生を想像するのだ(アニメか?)」というコピーを打って炎上した件を思い出すが、
目に見えるもので……映像的に文学を読む、アニメ的文学という体験は思った以上に楽しさがあり、莞爾(にっこり)してしまった。
「文学」と呼ばれるアニメがあるのなら「アニメ」と呼ばれる文学があってもいい。