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入選

課題図書 小学校高学年の部 内閣総理大臣賞

特に内閣総理大臣から許可を得ているわけではありません。

作品情報

応募者名: たーんえー

対象図書: 課題図書 なめとこ山の熊(宮沢賢治)

区分: 小学校高学年の部(1200字以内)

感想文

講評(クリックで表示)

講評:ほろあま

一文目に着目して作品を読み解くという視点が素晴らしいですね。何事も本質は最初と最後にあるものです。この物語を語り手によって伝えられたものとして、語り手の小十郎への感情移入を推測するのはなるほどと感心してしまいました。鑑賞という視点で読書感想文の意味を見出しているのも素晴らしいですね。文章もコンパクトにまとまっていて、”感想文”の本質があるような興味深い読書感想文でした。そして、わくどくを開催して良かったと思える感想文でした。最初の一文が大切なように、最初の一応募目は重要なものです。

内閣総理大臣賞おめでとうございます。


何事においても、掴みというのは重要です。そしてそれは、小説に関しても例外ではありません。最も有名な冒頭の一文の一つが、『走れメロス』の「メロスは激怒した」でしょう。タイトルからメロスという人物がいることだけを知っている読者は、まず「激怒した」という強い感情のみを突き付けられて、何に激怒したのだろうと興味を惹かれていくのです。
さて、今回の課題図書『なめとこ山の熊』の冒頭の一文はどうかと言うと、「なめとこ山の熊のことならおもしろい」です。どうやらなめとこ山の熊の話をするらしいと思っている読者に、いきなり「おもしろい」と語り手の感想を述べてしまうわけです。どうおもしろいのか?と読者は興味を惹かれるわけで、なかなか特徴的な掴みであるように思います。一方で実際に本作を読んでみると、生や死、現実の世知辛さが含まれており、単純に「おもしろい」と言い切れる話としては受け取りにくいものでした。
本作で印象的なのは、物語が割と語り手の主観で語られていることです。語り手はなめとこ山も熊の胆も自分で見たわけでなく、人から聞いたり考えたことばかりだそう。語り手は小十郎に感情移入していて、荒物屋の主人にうまくやられている小十郎の様子を書くことがしゃくにさわっていたりもしています。そうした前提に立ってみると、小十郎の最期の表情が実際はどんなものだったかも、本当のところはわかりません。確かなことは、望まない形で熊の命を奪い命を奪われる結果となった小十郎は笑っているような表情で逝ったのだと、語り手は信じたかったということです。
同様に、語り手がどういう意図で「おもしろい」と語ったかの本当のところはわからなくても、読者である我々は自由に物語を受け取ることができます。そうしてどう受け取ったかを自分なりに語ってみるのが、読書感想文というものです。
私は、死や世知辛さが絡んだ重いテーマを内包する本作において、「おもしろい」をはじめとする語り口の軽妙さが作品全体を重たくしすぎない効果を与えているように思いました。本作が童話であることも踏まえると、「小十郎寄りの語り手」が間に入るというのは絶妙で、読んでいるというより「誰かに語られている」と表現した方が適切に感じます。読点が少なくとも流れるように読むことができるのは、宮沢賢治の文章の特徴な気がします。
もちろんこれもまた、単に私が読んで受けた印象に過ぎません。あえて作品内から引用すると、「間ちがっているかもしれないけれども私はそう思うのだ」というわけですね。