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入選
自由図書 小学生高学年の部 内閣総理大臣賞
特に内閣総理大臣から許可を得ているわけではありません。
作品情報
応募者名: ゆう
対象図書: 自由図書 [ 江戸POP道中文字栗毛 ]
区分: 小学校高学年の部(1200字以内)
感想文
講評(クリックで表示)
講評:ほろあま
作詞家としての児玉さんについての印象を入口に、個人の体験を通して語っているのが良いと思いました。私自身、児玉さんの作詞した楽曲は好きでしたが、著書については触れたことがなかったのでとても興味深い感想文でした。そして、またこの内容は読書感想文コンクールの意義にもつながる話だなと感じました。作者がという話ではないが、読書感想文もネット上にいわゆる正解となる感想がたくさんある。だからこそ、正解にとらわれない自由な視点での感想が書けるコンクールを作り続けたいなと感じました。
内閣総理大臣賞おめでとうございます。
毒親を産みたくない
エッセイは著者によって思考が自由に表現される。その思考を読ませてもらうことは著者の頭を覗き込めることであり、憧れの人や著名人のことをより深く知れる良い機会となる。今回はハロプロの楽曲やアイドルアニメ楽曲の作詞をされている児玉雨子のエッセイを読むことにした。
作詞家としての凄さを語ることは私では難しいが、彼女のキャラソンへの作詞力は目を見張るものがある。彼女の作詞曲はキャラクター性や物語の位置付けなどを綺麗に当てはめている。作詞家という仕事を意識してなかった自分が意識するきっかけとなった偉大な人物である。ちなみに私はMiss.プリオネアが最も完成度の高いキャラクターソングだと思っている。
閑話休題。江戸POP道中文字栗毛は短編集であるため、今回は「机上のマジカルバナナ」にのみ触れる。ざっくりと内容を紹介する。作詞者が作詞した曲について解説をすると、曲の解釈の正解が定まってしまい、考察などによる多様性が失われてしまう。そして作者の理想を押し付けてしまうことになり、「言葉の毒親」になってしまうので、児玉雨子は解説を避けている…という話である。
私はこの毒親という言葉を、ダンスや絵など様々なことに適用できると考える。あらゆる分野で作者と作品は親子関係を持ち、関係性はあるが、それぞれが独立した存在であるということだ。
私自身は幼い頃から自己表現をする機会があまりなかった。合わせて、誰かの作品を深く理解しようとする意思がほぼない状態でアニメ・漫画等の作品を楽しんでいた。そのため、意思を汲み取ったり推察する能力が他の人より低い。そうすると私の甘い考察より他者の考察や著者の思考を直接聞いた方が手っ取り早いという考えに至るようになった。もしもこの考えをベースに行動をする場合、児玉雨子の考えに準ずると、私は毒親を産むことを助長する人間になってしまう。毒親を産むと前述の通り多様性を失われることも問題ではあるが、私はそれだけではなく作品やキャラクターの主体性が作者に移ってしまう可能性が生まれることも問題であると考える。少なくとも作品は文字や絵、音など人間の五感で感じられる要素から構成されており、受け手側に何かを語りかけている。つまり意思を持っており、作品の内容を尊重することは重要である。これを無視するということは、例えば進路に関する三者面談で子供に意見を求めず、親にのみひたすら意見を求める教師になるようなものである。これは1人の人間の権利を潰すことであり、非道徳的な考えだろう。私は個々を尊重できる人間でありたいため、この考え方は是が非でも回避するべきである。
以上のことから、私はこれから苦手であっても、親(作者)からではなく、子(作品)の内容を読み取り、子への理解に努めたい。